国恩記の世界 お出迎えの場面(お出迎えの絵画 千田陽司さんより) (映画「殿、利息でござる」の元々の江戸時代の記録書「国恩記」からの考察)  トップページに戻る

映画の中で念願が成就し、萱場木工宅で九人の町人がほうびを受け取りました。その後2〜3日後のことは映画には出ていませんが、下記の通りのことが国恩記には記されていますのでご紹介します。
(引用は古文書「國恩記」1−1のページから、その一部を引用させていただきました。)

*町民が歓迎のため出迎えに行ったのは、記録によりますと安永二年の旧暦五月十二日でした。この年はうるう年でしたので、西暦では1773年7月1日の夜でありました。大清水とありますので現在の富谷市の「イオン」あたりまで、迎えに行ったようです。八つ時に出発とありますので、現在の午後2時前後に仙台の国分町を出立し四つ半時に吉岡に着いたとありますので、午後9時前後に到着したようです。
出迎えのちょうちんの行列はあたかも「欄干」または「星のようであった」とありますので、大変見事な美しい光景であったことでしょう。旅人たちもそれを見て驚いたと述べられています。
前後二三里が、その提灯の長さであったようですが、一里四キロと計算すれば8キロ〜12キロとなりますが、もっとずっと短く仙台藩では当時の一里は6町(一里)約600m超であって、国恩記の初めの部分にもその距離の扱いの記載が見られます。ですから前後二三里とは、1200mから1800mくらいの行列であったと推定できます。下記の画像は出迎えの様子を描いたもので、ちょうど吉岡の志田町の一里塚あたりで町民が喜んでお出迎えをしている場面です。







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絵は柳原氏によるものです。(当店でご覧になることができます。) 参考動画 ユーチューブ 国恩記の歌 笠原修平歌唱  春風かおる(国恩記の歌)